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サルでもわかるNASA式システム開発 第6話 「アポロ計画とシステムズエンジニアリング」

この記事では、サルでもわかるNASAシステム開発」ガイドブックのポイントを抜粋して紹介しています。全文をお読みになりたいかたはこちらから無料ダウンロードしていただけます。

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月面への着陸

充分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。


かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉です。


NASAは、これまで多くのビッグプロジェクトを成功させて来ました。

その成功を秘訣は、「組織、コスト、技術、それらの相互作用のバランスを取ることに精通していることにある」とハンドブックには書かれています。

そのために、特に重要なことが、単一の専門的なビューではなく、システムの幅広い横断的なビューを扱うことです。

全体像を描くことで、「正しく設計」できていることだけでなく、「正しいシステム」を作れていることを都度確認することができ、巨大プロジェクトを成功に導くことができるというわけです。


NASAの成功の秘訣は、プロフェッショナルな協働を支える技術であり、その技術こそがシステムズエンジニアリングです。


NASAのハンドブックでは、「システムズエンジニアリング」は、

システムの設計、実現、技術管理、運用、および廃棄のための体系的で学際的なアプローチ

と定義されています。

“systems engineering” is defined as a methodical, multi-disciplinary approach for the design, realization, technical management, operations, and retirement of a system.



NASAは、どういう経緯で「システムズエンジニアリング」に着目しはじめたのでしょうか?



大きな転機は、アポロ計画にあると言われています。


アポロ計画は、云わずと知れた、米国の有人月着陸計画です。

1961年5月25日,ケネディ大統領は、上下両院合同議会で次のような演説をしました。

「まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう。」



そして、この宣言通り、1969年7月20日,宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンがアポロ11号で月面へ着陸しました。

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1969年7月20日アポロ11号が月面に着陸



部品点数は400万点を超え、電線の総延長は60キロメートル、設計図面は10万枚にもおよび、ピーク時の従業員数は40万人という、人類史上類を見ない巨大プロジェクトでした。


実は、NASAという機関ができたのは、ケネディ大統領の演説の少し前(1958年)であり、アポロ計画当時は、まだまだ前身の各研究センターの文化が色濃く残っていたそうです。


アポロ計画では、主に3つのセンターが役割を分担していました。

  • 有人宇宙船センター(後のジョンソン宇宙センター):アポロ宇宙船の開発
  • マーシャル宇宙飛行センター:サターンV型ロケットの開発
  • ケネディ宇宙センター:ロケット打ち上げ作業


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司令船

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月着陸船

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サターンVロケット

NASAの各センターは、それぞれの組織母体の伝統に根ざした技術文化をもっていましたが、各センターが協働しない限り、この巨大プロジェクトを成功させることはできません。

そこで、各センターの技術プロセスに対する管理を強化するため,形式化・規格化された技術手法の導入を推進しましょうということで、システムエンジニアリングに白羽の矢が立ちました。


このあたりのストーリーは、佐藤 靖氏の著書「NASAを築いた人と技術」に詳しく書かれています。

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特に面白い文化を持っていたのは、ヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)が率いたマーシャル宇宙飛行センターです。

中核メンバーは、100名強のドイツ出身の技術者たちでした。

ドイツ時代からの長きに渡る協働から来る、団結力のあるチームだったそうです。


フォン・ブラウンは、米国最初の人工衛星エクスプローラー1号を打ち上げたジュピターCロケット、アポロ計画のサターンVロケットの開発者であり、ロケット開発の歴史に名を残す人物です。 第2次世界大戦中はドイツでV2ロケットを開発したことでも知られています。


彼は、こんな言葉を残しています。

良いチームはみな、、、
冷静な科学的言語では評価が難しい一定の性格をもっている。
良いチームには帰属の意識、誇り、そして集団で物事を成し遂げる気持ちがある。
自ら進んで取り組むという要素がそこにある。
良いチームは木や花のようにゆっくりと有機的に育つのでなければならない。

エンジニアらしい発想で、自律性と実践的経験を重んじ、過度な管理はしないという方針でした。


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フォン・ブラウン



一方で、アポロ宇宙船計画室長であったジョセフ・シェイ(Joseph F. Shea)は、その対極に位置する方針を持っていました。

トップダウンで物事を進めることを好み、週間報告で自ら全てをコントロールしていくことでアポロ計画を推進していきました。

毎週1000ページを超えるレポートに目を通し、フィードバックを返していたとか。


彼は、こんな言葉を残しています。

私は変更委員会を民主的プロセスで運営したことは一度もなかった。

敬意を持って一言で表わすならば、極めて優秀な独裁者です。


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ジョセフ・シェイ



このように、異なる文化・専門性を持つセンターが協力して、進めていたのがアポロ計画でした。


どれかひとつの文化・やり方に統一することは難しい一方で、好き勝手にやるわけにもいきません。

実際、計画の初期段階では、好き勝手にやって失敗を繰り返していたそうです。

そこで、プロフェッショナルな活動をつなぐ横串として、形式化・規格化された技術手法が必要だろうということで、システムズエンジニアリングの体系化と活用が進められました。*1

当然のことながら、各センターの技術者たちの中には、反発もあったようです。

しかし、最終的には程よいバランスで、各センターにシステム全体の最適化計画全体の整合性の維持を図る活動が浸透し、アポロ計画は成功しました。

もちろん、フォン・ブラウンのような天才がうまくやった部分も多分にあるとは思いますが、アポロ計画を通じて、各センター独自の技術文化とシステムズエンジニアリングが時に衝突、時に融合し、今日に至るNASAの技術基盤が形成されていきました。



余談ですが、1969年当時のアポロ計画の技術者の平均年齢は26歳だったそうです。


若い!


私が大阪府立大学で衛星開発を指導していたときの経験談なのですが、システムズエンジニアリングを導入することで、若手に活躍のチャンスを適切に与えることができるという効果がありました。


最初の人工衛星を作ったときには、ある程度の経験を積んだ4年生や修士の学生が開発を担っており、低学年の学生は手伝い程度で、責任ある仕事を任せられていませんでした。

しかし、現在では、システムズエンジニアリングの考え方が浸透しており、1年生から衛星開発の一端を担えるようになっています。

これは、作ろうとしている人工衛星の全体像を明確にし、共有した上で、やるべきことを定義し、プロジェクトを進められるようになったからだと考えています。


ダ・ヴィンチの言葉の通り、「終わりの姿」を考えることからはじめているわけです。

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*1:システムズエンジニアリング導入の背景には、技術的な必要性だけでなく、NASAには世論と議会への説明責任があり、予算やスケジュールの制約がある中で、月着陸という野心的な技術開発を進めていく必要があったということも色濃くあります。